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2012.03.19 19:19|未分類
9月4日(金)12:25
こんなにまっすぐな目をした人は見たことがない

9月8日(火)22:25
ハザール事典
境界例 重症例の心理臨床
ユング派の心理療法
ジャンスマ おなじ星
アルバム 林檎のためいき

9月8日(火)22:26
NHK 夜8時53分ごろ パイクスのあの音楽

9月8日(火)22:26
「さようなら、ギャングたち」は、最高の小説だ。

9月9日(水)14:31
自分は病気なのか?「治す」必要があるのか?病気であるなら、どういう病気なのか、治すとはどういうことを指すのかを説明して欲しい。充分な説明。「治療」が自分を救うのか?充分な説明。→独断の危険
安全な場所

9月9日(水)23:44
あなたが私に生きて欲しいと「望んでいる」ことは、私にとって助けになっていると思う。「人間は何がなんでも生きなければならない」とか「死ぬことはいけないことだ」とかいうような、教科書的な言葉を並べられても、「そんなことは分かり切っている」と思うだけだが、「私はあなたに生きていて欲しいのだ」「あなたが死んだら私は悲しいのだ」ということを言われると、おれは死んではいけない、と思う。

9月10日(木)12:21
この世でいちばん大事な「カネ」の話

9月10日(木)13:20
治療することが本当に正しいのですか

9月10日(木)13:22
ぼくは病気なのですか。重症なのですか。

9月10日(木)18:22
苦しいというのとは違う。何も問題はないとすら言える。例えば、生きる意思がなければ、何も楽しいものなどなくでも、「困っている」とは言わない。

9月10日(木)18:23
「問題」ってなんでしょう

9月12日(土)3:20
最も大事にすべき感情は、「死ぬことが怖い」という感情だ。

9月12日(土)3:22
死ぬことが怖いから、笑うのだ。死ぬことが怖いから、愛する人を求めるのだ。死ぬことが怖いから、明るいところを求めるのだ。

9月12日(土)3:23
生きている間、明るいものを見ないでどうするんだ?

9月12日(土)14:40
先生は、ぼくがここに来ていることが正しいと思いますか?

9月12日(土)16:01
病院との繋がりについて。

9月12日(土)16:17
くすりを飲むことによって得られる状態が、どんな状態であるのかを知りえない限り、くすりを飲むことに抵抗を覚える。自分が求めているものは、明確なものだからだ(悲しさ、胸の暖かさ、好きという気持ち)。

9月12日(土)18:46
ぼくの身に何が起こったのか

9月12日(土)18:56
病気でないというのなら、病院へ行かないですみます。病気なのか病気でないのかはっきりさせてください。

9月12日(土)21:49
どうすれば死なないですむのか

9月12日(土)23:02
くすりを飲まなければやばいのか
それとも飲まなくても治せる種類の病気なのか

9月14日(月)14:57
ぼくが病気なのかどうかはどうでもよくて、それよりも知りたいことがある。それは、現実(リアリティ)とは何か、ということ。

9月15日(火)2:10
病名は?

9月15日(火)11:56
また、非定型抗精神病薬の服用の仕方、その危険性について。

9月15日(火)13:23
薬はとりあえずソラナックスだけにしてもらえますか
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2012.03.18 13:32|未分類
8月19日(水)13:25
裸で体験がしたいという欲求(希望)

8月21日(金)15:53
胸の中にテトリスのブロックがあるような、胸の中に、胸につっかえるようなブロックが複数ある(2・3種類)。一つあるだけでも胸につっかえるのに、複数あり、それぞれが拮抗しあっているようにも感じるので、落ち着かない。この場所にはいられない。

8月24日(月)13:58
アーティスティック(ポップアート以降、当然大きめ)なティーシャツを一枚。コラージュ的な柄も。白地に黒の柄とか。

8月24日(月)14:32
rio 女優

8月25日(火)10:54
不安が、生きてる証。

8月25日(火)14:05
自分のむきだしになった筋肉が花弁のように咲いている。負荷が肩にかかり、頭の上にもやもやとした黒い雲。

8月25日(火)16:48
病院をキャンセル→放り出されたような無重力に近い状態に
不安、トラウマティックな痛み
音楽は以前より聞こえる?
要は何が自分を守るか?何も自分を守るものがないときほど音楽の役割は大きくなる?
こっちの方がリアル(生々しい)

8月27日(木)19:32
要は信用の問題であって、まだ医療そのものを信用しているわけではないのだ。どこの診療所がいいというのではなく。どこがいいとかではなく、「医療にかかるか」ということを考えなければならないのだ。

8月29日(土)0:47
自分を守るものを生きている中で見付けていくこと。現実の生活の中で。医学の中にではなく。

8月30日(日)16:26
みまちゃん
日曜の昼

8月30日(日)16:40
コンビニで焼き鳥などを買うにしても、誰から買うかによってその焼き鳥の持つ意味合いが変わってくる。今日、近所のセブンイレブンに行って、見たことのない金髪の主婦っぽいかわいい店員がいた。「新しく入った人かな」と思った。焼き鳥を買った。名前を見たら「みま」と書いてあった。この「みま」さんは、俺が去年の五月頃から恋している人だ。髪型(というか色)が変わったんだな。指輪はしていない。年齢は20代後半から30代前半だろう。久し振りに見た。半年振りくらい?

8月31日(月)8:41
目覚ましは九時に設定した。いろんな夢も見た。けれど、「少なくとも九時は過ぎていないんです」。

8月31日(月)12:41
問題は、安全な場所を奪われたことだ。それを取り返せれば、もう問題はない。ぼくは安全な場所にいる「限りは」問題はない。

9月1日(火)13:10
世界の攻撃は、不快で苦痛ではあるが、自分が本当にこれを感じないようにしたいと思っているのかというと、分からない。しかし、これは何か重大な徴候か何かではないのかという疑念から、これの正体を知りたいという希望のようなものはあった。正体を知らないのに放置するのは危険であると感じる。正体を知りさえすれば、あとは放置するなり、それに対する対処の仕方を考えていけばよい。

9月1日(火)17:53
自分:停泊する場所のない船
いや、見失っているだけだ。永久にこの状態では、生きているのは不可能だ。安全な場所を一時的に喪失しているだけだ。それはいずれ見付かるはずだ。例えば、学校。

9月1日(火)18:14
shrink

9月1日(火)18:22
自分の状態を表すとき、shrink という言葉が浮かんだ。縮む。外に向かうのではなく、縮む。縮んで、姿さえなくなる。赤い繭のように。辞書でshrink の意味を引いてみたら、「精神科医」とも書かれていた。医者に説明する機会があったら、自分:shrink 縮む と書き加えねばならないだろう。

9月1日(火)19:55
二人で、一つになってそのまま消えてしまえれば、永遠になれる気がする。

9月2日(水)17:31
まだ、あった。食べ物だ。やはり、生理的なものだ。
2012.03.14 18:08|未分類
8月15日(土)17:13
安全な場所を常に探している。それは息苦しさ(過換気症候群)が起こらない場所のことなのだけれども。そこは限られているから、常にその場所がどこにあるのかを確認していないと命取りになる。
また、昔ぼくはこの息苦しさ(過換気症候群)を「呼ぶ声」と呼んでいた。「欲望が呼んでいる」のだ、と。息苦しさを感じない場所に戻ってきたとき、ぼくは「ここだ、ここがぼくの『求めて』いる場所だ」と思う。

8月15日(土)20:47
兄貴が彼女を連れてきて、家にやってきた。うちの家族とその彼女とで夕飯を食べた。兄貴と彼女とがいる間は、楽だった。ある種の楽な空気があった。俺は「自分は普通なんじゃないか」と思った。しかし、兄貴と兄貴の彼女が帰ったあと、空気がまたもとに(いつもの空気に)戻ってしまった。つまり、普段両親と三人で暮らしているが、両親の意識が俺一人に向けられているように感じ、肩が重くなり、緊張してこわばって息苦しくなるのだ。兄貴と彼女とがいたときは、両親の意識は分散され、というか俺の方へは殆んど向けられていなかった。それが楽だったのだろう。兄貴と彼女とが帰って、またどろどろとした空気が戻ってきてしまった。各人の境界が引かれていることが重要なのだ。

8月15日(土)20:55
そしてまた死にたくもなった。祭りが終わった。何もないではないか。

8月16日(日)10:42
音楽は生活のあとについてくるものである。それでは生活とは何か?それは本人しか知らない。

8月16日(日)11:39
ある時期の演奏の録音を聴くと、「情報量が多い」と思う。それは結局、心が動いているかという問題なんだろうけど。情報量が多いということは、それだけ複雑な心みたいなものが反映されているということだろ。情報量が少ないということは、本来?複雑な心が、押さえ付けられているということだろ。

8月16日(日)12:45
アイデンティティの拡散→アイデンティティの統合。

8月16日(日)14:47
信じることって不自然なことだと思うんですよね。それは悪い意味ではなく、例えば、自分の愛する人を失った人がいるとします。その人は、失ったあとも、そのことを受け入れることなんて出来なくて、その「事実」に対して抵抗し続けると思うんですよね。「失ってなんかいない」と。そういうのは不自然に見えることもあるだろうけど、信じるというのは結局そういうことだと思うんですよ。

8月16日(日)15:02
美しいというようなことでもないのかもしれないな。例えば、人を愛することは美しいと言ったところで、それはその人が勝手に「美しい」と言っているだけで、愛するという能力は人間が生物学的に生き残るために生来的に身に付けているだけのものでしょう。ただ、愛する能力に障害をきたした人なんかは、愛するということに憧れるというか執着するだろうし、それは別に美しいから執着しているわけではなくて、もっとシンプルに生物学的なものであるわけです。

8月16日(日)15:05
つまり、他人に「やれ」と言われたら出来なくなる。それは去年の七月のことで強くなったのだろう。一種の防衛でもあるかもしれない。

8月16日(日)20:11
「治す」ということに強い抵抗を感じている(去年の七月に、「おまえは異常だ。俺がおまえを治してやる」というようなことをやられたことと関係していると思う)。

8月18日(火)11:06
本質的には、「気分が沈むから困っている」というようなものではない(気分が明るくなればいいというようなものではない)。

8月18日(火)11:08
ここはどこなんだ?

8月18日(火)12:16
息苦しさは殆んど常に感じているけど、自分のしていることはこれでいいのかという、ぎしぎしとした感じ、いろんな方向から自分がぎしぎしと攻められ、安心なんてしていられないので、いまこの瞬間にどうすべきか、と落ち着かない気持ちでいる時間が多い。じっとしていても、何かがちかちかして回っている。この落ち着かなさは死にたいような絶望的なものをまとっている。そこから逃れることを考え、瞬間瞬間をどう過ごすかをずっと考えてきたようにも思う。常にふわふわした感じがしていたようにも思う。

8月18日(火)13:05
断続的な関わりを認めてくれるかどうか(確信が持てないから。しかしその確信を回復するためにここに来ている部分もあると思う。確信が持てるようになる前に死んだら意味がない)

8月18日(火)23:24
休めない
休むことに対する強い抵抗
何年も前からある

2012.03.13 21:32|未分類
8月8日(土)15:13
疲れている。そこで「もう寝たい」と思うのではなく、「もう死にたい」と思う。というのも、寝たところで変わるものではないからだ。

8月8日(土)16:48
一点を凝視 亜昏迷

8月10日(月)10:26
08月10日01:57「今日で最後だ」と思ってるから、生きていられてるのかも知れないな。遠くを見たら、生きるの無理ってなる。でもあと一日だけってのなら、まあじゃあ頑張るかって。

8月10日(月)11:47
アイデンティティの混乱
自分の置かれている環境(自分が何と繋がっているか)を単期間の間に変えることを繰り返していることがアイデンティティの混乱の大きな原因となっている
そもそも何故環境をころころと変えなければならないのか、ということだ。

8月10日(月)14:51
実験観察的な傾向が強い?

8月10日(月)15:21
ツタンカーメンが日本に来るらしい

8月11日(火)23:21
いちばんの問題
何も愛せないこと
自分に精神障害のようなものがあるにしても、何かを愛せていれば、俺はなんにも問題に感じない。

8月12日(水)5:12
自分が死ぬ時に手を繋いでいたいと思える人。それが自分の信じる人。

8月12日(水)23:14
死んでいく人ってね、黙って死んでいくんだよ。話す意志があるのなら、まだ大丈夫。
俺は死ぬ時には、「結局あなたたちとは分かり合うことが出来ませんでした」と言って死ぬよ。

8月12日(水)23:35
さっきファミリーマートで、ティラミスやらバナナオレやらレモンジュースやらタピオカココナッツ汁などを買ったとき、レジのおっさんに「足の長いスプーン入れておきますね、このティラミスは底が深いから」と言われ、店を出たとき、何故か急に涙がぶわって溢れだして、「このことはずっと忘れないでいたい」と思った。ちょうど、「これ以上(生き続けるのは)は無理かな」なんて思ってたので。

8月13日(木)11:21
経験則について
絞りとられるような
「治すこと」について固執するようになったのは去年の七月がきっかけ

8月13日(木)11:46
この「洒落になっていない事態」を、病的なものと見なすか、自然の反応と見なすか、どちらに落ち着くことも出来ない。自然の反応と見なすのなら、通院を一切やめて、現実の生活の努力のみに

8月13日(木)11:47
嘘に慣れた
自分の、裸の、本心のようなものが見えない
何をしても嘘
何を言っても嘘

8月13日(木)12:22
日向彩

8月13日(木)13:17
関係をぶったぎりたくなる
自分にこびりついているのがいやだって

8月13日(木)13:31
そもそも、お医者さんに行くことを信用していないのに、そのお医者さんのところに行くのは、そのお医者さんに対しても失礼でしょう?でも、自分が何を信用しているのか分からない。

8月14日(金)19:29
自分の心がどこか外のところにくっついていないとだめ。安心出来ない。自分の心が何かにぴったりとくっついていれば、安心出来る。自分の居場所も分かる。

8月15日(土)0:25
仕事が続かねー
学校も
なんで
相談
っていうかなんでこんなことになっちゃってんの
よくわからん
2012.03.12 15:05|未分類
7月26日(日)15:03
記憶について
愛が人を救うというもんごんについて

7月27日(月)13:13
メタファーになっていない言い回しは下品。

7月27日(月)
ミルひき アドマイヤ

7月27日(月)18:19
森田理論→現在を問題にする
森田理論を知ってから、過去を問題にすることを押さえ付けるようになったのではないか
過去を問題にする→自己認識(アイデンティティの問題)
過去を問題にすることの抑圧→アイデンティティの障害

7月28日(火)10:05
例えば、バスケットボールが好きな人がバスケットボールをすれば、ちょっと楽しい気分になるというか、そういうことを探っていきたいのだ。因果関係が見出せるでしょう、経験則的に。

7月28日(火)
ごめんね ピーマン

7月28日(火)16:24
根本的に無関心

7月30日(木)2:06
「困っていること」があるのであれば、問題ないと思う。俺には、「これに困っている」と明確に指し示すことの出来るものがないことに困っている。つまり、欲望がないのだ。「何に困っているのか」を具体的に明確にしていくことが治療目標であると思う。「これに困っているのだ」、そうなれば治療は終わり。ぼくの言っている「治療」とは、アイデンティティの回復であると思う。「悪いところを直す」というのとは違う。あくまで理解、自己の認識の問題であると思う。

7月30日(木)2:39
いや、明確だ。「好きになれないこと」。

7月31日(金)15:53
ウェンディーズ 山口さん 前髪ぱっつん ポニーテイル 腰近くまでの黒髪 かわいい 身長160より上

7月31日(金)17:18
ツタヤ
一階本のコーナー アイコ似のおかっぱの鬼かわいい子

7月31日(金)18:06
俺がAVに引き寄せられているのは、それが死の恐怖を束の間でも忘れさせてくれるからではないか。

8月1日(土)16:17
心が死んでいる

8月2日(日)14:46
自分でも気付いていない不自然な習慣が生活のあらゆるところに顔を出している(おそらく)。自分一人で気付くことが出来るのか?不可能。

8月2日(日)17:13
まず、ぼくに問題があるとします。でも、それが問題であるかどうかを決めるのはぼく自身であるということです。判断力があればの話ですけれど。

8月3日(月)9:43
どこから始めればいいのだ?

8月4日(火)15:54
私を貫くものは私を貫け。

8月5日(水)20:03
芸術家のうちの100人のうちの99人は、何も残せずに(残す前に)、または何も愛せず、愛されずに、10代または20代で死ぬ。生き残れる運(能力?)も才能のうちだ。今日評価されている芸術家は、「運よく生き残れた者」でもある。もっとも大事なことは、「死なないで生き残ること」。

8月6日(木)18:48
自分と他人が区別できない

8月6日(木)19:20
絞りとられるような

8月7日(金)3:08
裸で受け入れる準備
責任を転嫁しない

8月7日(金)12:05
心が死んでいると感じているのに、涙が出ることがある。変な感じ。
2012.03.11 20:50|未分類
7月19日(日)14:31
ぼくが自分の個性を自覚したのは、「外の物事について関心を持とう」とする努力が不自然なものに感じられ、「外とは何か」と考えたときに、自分のスキゾタイパルに気付いたのだと思う。つまり、あるがままに近付いた結果、俺はスキゾタイパルになった(スキゾタイパルであることを拒否しなくなった)。

7月19日(日)14:37
俺はある一時期までは、正しい精神療法というものがあると思い込んでいたのだ。村上春樹の小説などを通して行われる「癒し」は本式ではないと。しかし、病気の定義から外れることは重要なことではないのだ。

7月19日(日)22:53
しばしば、ぼくにはこの世界が死んだあとの世界のように思える。永久の闇

7月20日(月)2:23
整理してみよう。「いま」俺が問題にしているのは、音楽が聴こえないことだ。音楽が聴けないから、アイコを好きだと感じられないのだから。音楽が聴けるようになれば、アイコを好きだとも感じられる。アイコを好きだと感じている時間を過ごしていくことが、自分を癒していくのだと思う。どうすれば音楽が聴こえるようになるのか?それを考えればいい。(学校へ行くことがその一つだ。)

7月20日(月)2:45
パーソナリティのことを勉強すると、「自分の」人生を生きる妨げになる。つまり、パーソナリティというのは結果的にラベリングされるのであって、「自分の」人生は、パーソナリティの分類のみによって説明できるものではない。いずれのパーソナリティに属するかというのはそれほど重要ではない。もっと重要な尺度…それは、自分の好きな人の好きなものを同じように好きになれること、などである。自分の好きな人のことを知りたければ、パーソナリティのことを勉強したって駄目だ。それよりも、好きな人の好きなものを同じように好きだと感じられること、同じものを見られることに意味がある。
パーソナリティを勉強するなど、それこそ、言葉に傾いている。

7月21日(火)2:11
病院に行かない理由=文章が書けなくなる(自然な感じ方が出てこなくなる)から。しかし、これがこれからにも当てはまるのかどうか。

7月21日(火)15:15
食べたいものが思い付かない
息苦しさ
空っぽ
死にたい
音楽聴けない(攻撃的)
やりたいことない
自分の感情のようなものがない
こうなりたいというような希望がない(以前はあった)
楽しめたものが楽しめなくなった
実感、現実感がない(もやもやした夢を見ているよう)
食欲ない(味しない)
世界に親しみが感じられない
人間に親しみが感じられない
そもそも人間に会いたいと思わない
人間に会っても疲れて、世界は空っぽだと感じて(何も楽しいものはない)死にたくなるだけ
毎日同じ(進歩がない)
一日が五分くらいに感じられる
何かをしても胸の中が空っぽになって胸の中を風が吹き抜けていくようなすかすかの息苦しさを感じるだけ(その感覚が苦しくて胸をどんどん叩いたりする)
以前アルバイトを始めたが、働いている間、自分の体じゃないようで、文字などを認識するのも困難で、「操縦」しているような感覚があった(乗り物に乗っていて、スクリーンに映し出された画面を見て操縦している)。すぐに辞めてしまった
常に自分が他者によって監視されているというか、行動を他者によって制限されているような感覚を感じる時期が多かった。簡単なことも選べない。行動の自由は与えられているはずなのに、何物かによって縛られて動けないような感覚。何かを感じても自分の感覚だとは思えない。「誰かの感覚だ」と。
「自分の感覚」、「これが自分だ」と信じられるようなもの(それはかつて自分にあった)を取り戻そうといろいろ頑張っている
でも自分がない
何もやる気力がない
食事も面倒
何をやっても(こんなことをやるのは)間違っていると感じる
しかし何をやるのが正しいのか分からない
楽しいという感覚がない
悲しいという感覚もない
泣くことが出来ると楽になる。安心する。自分に感情が生きていたことを嬉しく思う
もう一ヶ月くらい泣いてもいない
というか、なんで学校へ行くのを何度も中断しているのだろう?卒業したいという気持ちはあるのに
音楽が聴けないこと自体は、学校に行ってないことと関係していると思っている。行っている間は(今よりは)聴けた。
人間が生きているという感じがしない。リアルじゃない。
正しいと思えるものがないから(何をしても間違っているように感じるから)、身動きが取れなくなっている
昨日まで何をしていたか思い出せない。常に、昨日より以前は存在していなかったかのように感じられる(カレンダーの日付とか、自分の残したメモやらの履歴を見て、そこから辿って行こうとしないと思い出せない)
世界・自分に連続性を見出すのが困難
今年の二月に二年振りくらいに病院へ行ったが、それ以来、病院へ行ったり行かなかったりを繰り返している(予約入れてもすぐにキャンセルしたり。病院と関わっていることが、自分をもっと駄目にすると感じるから。再び病院へ行きだすのは、病院へ行った方が状況が好転すると思うから)
「わからない」というのが強い。「わからない」から、他人から道具にされやすい
外を歩いていていろんなものを壊したいと思うことはしょっちゅうある。自制出来ているから実際に壊しはしない。しかし、自制しているから、そのエネルギーが自分自身に向けられているというか、体に悪いんだろうなとは思う
自分の取っている行動の何もかもが自分を傷付けているように感じる(自殺に類する行為のように感じる)
医者と治療関係を持っていない時(次の予約を入れていない時・医者に通い続けなければいけないんだという義務から離れているとき)は、対人恐怖が酷くなる
去年の七月(モラルハラスメント)

7月21日(火)21:58
周りの人が自分に何も言ってくれなくなるのが恐ろしい。ぼくは常に、誰か周りの人に助けて欲しいと思っている。

7月22日(水)16:43
ぼくが治ったときというのは、何かが信じられるようになったときのことだと思う。

7月23日(木)2:39
大学の構内の建物の地下への階段を降りていって、庭に面した部屋に出る。

7月23日(木)2:42
基本的事柄―疲れたら寝る。健康第一。
2012.03.09 20:37|未分類
7月11日(土)2:12
あと、「慢性的なストレス」なんて、もう数年間毎日抱えているだろう。当たり前になってしまっているから自覚しにくいけれども。「当たり前になってしまっているから自覚しにくい」ことが多い。だから、「何に困っているのか」考えても、自分の頭からは思い浮かばない。

7月11日(土)3:45
一方で、俺に音楽を一緒にやろうと誘ってくれているその人が(ギターをやっている)、たまに俺にメールなどを寄越したり、ブログに俺に関係することを書いたりして、俺のことをまだ気にかけてくれているのを見て、安心しているのも事実だ。彼は、音楽の実力はしっかりしているし、彼以外にちゃんとしたプレイヤーが俺の身近にいないのだ。彼は俺のドラムを一応評価していて、俺が音楽を辞める時が来ても、俺と一緒に音楽をやりたいそうだ。彼は、俺がドラムをやると言わないので、いままでずっとドラムなしで(ギターとサックス、ギター二人など)やっていたのだが、最近になって俺以外のドラムの人を見つけたようだ。少しだけ焦りを感じている。彼のコネクションが殆んど唯一の、俺が音楽の世界に入っていく手掛りだしな。

7月11日(土)4:12
音楽をイヤーホンで聴いたが、すぐそばで鳴っているのに別の世界で鳴っているような、異常な感覚だった(他人の夢を強引に見せられているような)。一曲ぶん聴いたのだが、聴いていた間のことが夢のように思われる。あれが現実なら、聴いていない間の方が夢なんだろう。或いは、音楽を聴いている時と、聴いていない時とは、それぞれまったく異なった現実であるということだろう。

7月11日(土)4:16
というか、俺は自分が問題にしていることが精神医学ではどのように名付けられているのかを知りたいだけなんじゃないのか。「治したい」ことなんて、あるか?それ以前に、欲しいものが、失いたくないものが、大切にしているものがあるんじゃないのか。それを得るのに、医者の力は本当に必要だろうか。アイコに関わることだろう。アイコと取っ組みあっていればいいことだろう。むしろ、医者に行くことでこじれているんじゃないか?

7月11日(土)4:24
胸が苦しい。息が苦しい。

7月11日(土)17:04
文教堂、短い茶髪、少し大きめの白ティーシャツ、黄色とか青のスニーカー、ティーシャツのおっぱいのふくらみ、爽やか、pati patiという雑誌を見ていた。いままで見てきた女の子の中で一番かわいいかも知れない。

7月11日(土)17:47
よく「愛を求める」なんて言うじゃん。俺は愛なんて全然求めていない。別に愛されたいとは思わないし、そんなの俺には関係がない。

7月14日(火)0:06
本当の豊かさ

7月14日(火)5:07
俺はある時期までは、無駄に人生を過ごすことを怖れていたし、警戒していたし、実際に無駄だと思えることはすぐにやめるようにしていた。

7月14日(火)5:09
個人練習の録音を聴くが、単純に無駄なことだと思う。それでは何が無駄でないのか?それを探さなくてはならない。

7月14日(火)5:16
もっと、一秒を失うことに対して意識的だったと思うのだ。いまは、一ヶ月などをゴミのように捨てている。何も得るものはない。

7月14日(火)6:01
精神が殺された人は立ち直ることが出来るのだろうか。精神の病気であるのなら、治療することが可能なのだろう。しかし、精神が殺された人はどうすればいいのだろうか。

7月14日(火)19:49
自分と他人との境界がうまく引かれていないこと、そのことが苦しい。どろどろに溶けている。境界が引かれ、 ひんやりとした空気が戻ってきて欲しい。
2012.03.09 20:36|未分類
7月9日(木)16:19
もう長いこと、自然に何かがやりたいと思ったことがないのは事実。

7月10日(金)4:21
診察にあたり、

俺がどう思っているかではなく、外から見てどう見えるかの方が重要であると思う。客観的に見てどのような行動をとっているか(自分を追い込むとか衝動性とか)。

7月10日(金)14:01
今の俺には何の問題もない。死んでも問題ない。
こうは思っていなかった時期もあったと思うけれども。

7月10日(金)14:47
何で学校へ行くのを中断したのだったか?思い出せない。意味のないことだ。何故わざわざ行くのをやめなければならないんだ。

7月10日(金)15:12
清水裕子 画家 商学部 亀井ゼミ

7月10日(金)15:34
分かっているのは、アルバイトよりかは、学校の方が自分にとって重要だということだ。

7月10日(金)15:50
それは、自分のやりたいように生きてこなかったことの皺寄せでもあるだろう。自分の意志を無視して、自分に何かを押し付け、自分をそれに従わせる。もちろん、それは去年の七月をきっかけにして作られてしまった習慣だ。「学校がどう」というよりも、自分の最も深いところにある意志に自分が従っているのかということだ。

7月10日(金)16:06
追い掛けられる前に動いてもしょうがないということ。少なくとも、自分は去年の七月までは、何も考えずに、追い掛けられるままに生きていた。

7月10日(金)16:33
望んでもいないことをやり続ける習慣が出来ている。

7月10日(金)16:46
根本(こんぽん)ということ。俺はずっと、根本的に自分が何を望んでいるのかを意識して生きてきた。それは去年の七月に壊されてしまった。根本を無視し、枝葉末節ばかりを取り繕い、誤魔化し生きていく習慣が出来てしまった。しかし、これは自分が最も怖れていたことであったし、自分の人生観、価値観からまったく反する。自分の価値観を、自分の生き方を取り戻すこと。
根本的に何がしたいのか分からないのなら、探さなければいけない。常に問い続けなければいけない。「これは本当に俺の望んでいることなのか?」と。

7月10日(金)17:22
俺は去年の七月以来、何の思想上の進歩もしていない。去年の七月以前の状態に戻ることと、去年の七月のことがなければということだけを毎日考えて生きてきた。しかし、去年の七月に起こったことが、自分をどのように変えたのかを正しく認識しなければ、何も変わらないと思ったのだ(今も思っている)。去年の七月に起こったことが悪いことだと認識しなければ、あいつの思うつぼだからだ(あいつは俺を別の人間に作り変えようとしていた。俺の固有の価値観や生き方を破壊し、あいつの価値観や生き方を俺に押し付けようとしてきた。そしてそれは成功したわけだ)。

7月10日(金)19:28
昨日から、生き物(不安、叫びに近いもの)を感じている。病院へ行っている間は「生き物」を感じないという理論が自分の中にあったが、それが覆された。

7月10日(金)19:57
昨日、今日と食事が殆んど出来ない。胸が塞がっている。「食事が出来ない」なんて理由で病院に来る人もいるんだろうか?食べても味がしない。味がしないことで何か困りますか?人生が楽しくないことで何か困りますか?疲れやすいことで何か困りますか?死にたい死にたいと思っていて何か困りますか?死にたいなら死ねばいい。そうすれば解決する。俺は何に困っているのだろう。俺自身になんらかの方向性を求める欲がなければ、俺は自ら死んでしまう。求めるというのは、「根本」的なものだ。頭で考えることではない。

7月10日(金)21:35
生活を妨げるような認知の歪みがある

2012.03.08 18:48|未分類
7月3日(金)3:34
寝る時、胸の中が吸い取られるような、空っぽな感じがした。胸の中が巨大な空洞になっている。耐えがたい。余りにも空っぽなので、じっとしていることができない。
胸の中が空っぽだと感じている間は、何も好きだと感じていないのだ。好きという気持ちを感じることは、自分の胸の中に、それの存在の暖かさを感じることだ。少なくとも空っぽであると感じている間は、俺は世界に対する心による親しみを感じてはいないし、誰も人間を愛していないし、何も愛していない。「自分の中に何もないように感じる」とはそういうことだ。楽であるはずがない。生きている意義がない。生きようという気力もあるはずがない。そのような状況に置かれた人間が、自分の中に再び、自分の愛しているものの存在の暖かさを感じたい、何かを好きになりたい、誰かを好きになりたいと思うのは当然のことだ。何故そう思うのか?何も好きになれない、自分の胸の中に、なんの存在も感じられない状態は、とても苦しく、そんなのがずっと続くのなら生き続ける意味などない、と誰もが思うようなものであるからだ(「価値観」だとか「人生観」だとかの問題ではない。誰にとってもこのような状態は苦痛である、ということだ)。

7月3日(金)20:50
一つ目の問題:神経症の治療((ぴかぴかとした世界に対して)ぐにゃぐにゃとした、不確定な世界を、「(不確定)だからこそ面白い」と思えるかどうか)、二つ目の問題:自尊心の問題。納得してそれを選択しているか。それを自分が信じられるか。

7月3日(金)21:50
この二つの問題が共存しているから、ややこしくなっているのだと思う。コンビニのアルバイトを始めようと思ったのは、一つ目の問題を解決しようという欲求による。コンビニのアルバイトをやっていてどんどん自分が悪い方向に進んでいて、自分を傷付けているのだと感じて、アルバイトを辞めるべきだと思ったのは、二つ目の問題を解決しようという欲求による。要は、自尊心が持てていれば、アルバイトを辞める必要はない。自分が「自分だ」と思えるのであれば。自分のしていることに納得が出来るのであれば。

7月5日(日)2:22
7月4日
練習スタジオにドラムとかいう楽器を触りに行く。それほど虚しくはならなかった。録音を聴くと昨日よりは大分良くなっている。というか、慣れの問題が大きい。どんなに才能のある人でも、一ヶ月の間に一時間しか楽器に触りませんでしたというのでは、演奏なんて出来るわけがない。楽器の鳴らし方というのは経験則に基づくものだから、長い間触っていなければ、忘れる。また、楽器は、やっていて楽しいという感覚があれば、勝手に上手くなる。触っているだけで上手くなる。楽なもんだ。逆にいうと、やっていて楽しいという感覚がないのに続けていても、上達は非常に難しいということ。

7月5日(日)17:31
自分というもののイメージがなければ、そこに何を足しても、豊かにはならない。ただ通り過ぎていくだけ。

7月5日(日)17:58
「あの時の自分の気持ちはどこに行ってしまったのか」ということ。ある種の人たちは、自分の心というものを過去のどこかに置いて来たまま、心のない人として生き長らえている。俺はそうはなりたくない。もうなっているのかも知れない。自分の大切な気持ち、信念などを失ったまま、もう二度とそれらは戻らないのかも知れない。
ここで書いていることは奇異なことでも何でもない。「気持ちは生物(なまもの)」だということだ。だからその時その時に感じた気持ちに従って生きないと、あとで後悔する。その「気持ち」が自分にとって大きければ大きいほど、それを置いてきたまま通りすぎることによる後悔は大きくなる。
この「気持ち」というのは、「直感」とも言い換えられるだろうし(「直感」とは「生命そのもの」であると思う)、森田流に言えば「初一念」だろう。

7月6日(月)3:59
空っぽな人生しか生きていない人間には空っぽな音しか出せない。何も愛さないで生きてきた人間には、人の心に訴える演奏は出来ない(白々しい音しか出せない)。俺はこの一年間、まったく空っぽに過ごしてきた。今まで生きてきて、そう感じたのは初めてだった。他人によってそうさせられたのだ。楽器なんて、技術力なんて簡単に研けるのだ。楽器が演奏出来るかどうかは、その人がどのように生きてきたか、どのように生きているのかがすべてだ。

7月6日(月)15:41
「俺は何がしたいのか?」そのことを常に考えるのが、俺の価値観というか生き方だった。それが、去年の七月に他者によって破壊されてから、いまも、その生き方を取り戻していない。流れが出来てしまうと変えるのが困難になる。俺の元々の生き方を取り戻さないと、一生、「自分が何をしたいのか」を見て見ぬ振りというか、始めからなかったかのように、自分を物のように扱って、自分を消耗させながら死んでいくしかない。近い将来に「自分が何を失ったのか」も忘れるだろう。

7月6日(月)16:40
もともと、ぼくは少なくとも精神科の領域では何も困っていなかった。ぼくは自分の好きなように生きていくことを目標にしているし、そのことで困ることと言えば、学費のことくらいだ。また、一年間を失ったこと。それが一番大きいのだけれども。しかし、これからの人生を生きていく上では、これから、自分の好きなように生きていくしかない。自分には迷惑がかからない。

7月6日(月)19:33
未来を考え、現在を未来と関係付けて見る必要はない。現在のみを考えれば、何も問題はない。生きることは現在の連続である。未来とは考えであって実際ではない。
2012.03.07 20:57|未分類
6月15日14:28
自分の感覚が信じられるようになる手掛りとして、喜びや悲しみなどの感情が感じられるようになる、ということがある。喜びや悲しみなどの感情が何も感じられない、何に対しても関心を持てない、何もやりたいことがない、というのはやはりまともではないし、そんな状態にある自分の感覚など信じられるわけがない。

6月15日15:23
俺の感覚に問題があるというよりも、俺の行動に問題がある?(それによってますます感覚に問題があるように感じられるようになる。)
例えば、いまは眠い。

6月15日16:58
疲れているのに休むことができない

6月15日17:08
疲れているのを止められない。何故止められないのか?やりたいことだとか心惹かれるものがないから。

6月17日1:50
感受性というのはインスピレーション。それがある時にわたしは生きていると思う。それは喜びというものの別名であろう。

6月19日16:00
先日、トムハンクスに会いました。未来堂店主
加藤鷹とアダム徳永という二大巨頭のサインを持つ格式ある店。それが、未来堂。

6月22日15:53
中学生か、或いは高校生か。お洒落とは最もかけはなれた格好をしているのだけど、ファッショナブルで、芸術的な感性を感じた。バルトークやショスタコービッチを聴いてそうな感じ。顔も美人とは言いがたい。髪型も、室町時代の絵巻物に出てきそうな感じ(庶民)。ジーパンの間のふとももの内側からマンコにかけての湿気の匂いを味わいたいと思った。或いは、スティービーワンダーを聴いているのかも知れない。将来歌手になりそうだ、と思った。意志の強そうな眼、漫画家の浦沢直樹に似ている。
まあ、そのあとに見た、カジュアルな格好をした髪の長い、イヤホンを耳にぐりぐり押し付けて外界の音を遮断してイヤホンからの音を聞き取っていた女の子の方が魅力的(というか、やりたい)だったけど。早稲田生には見えないし、高校生にも見えないし、ましてや専門学校生の対極にあるような感じの子だったし、何をしている子なんだろう?音大生かな。同じ駅で降りたんだけど、改札抜けたら結んでた髪をほどいて、源氏物語みたいになってた。無造作な長髪。ますますやりたくなった。歩いてる時、体が左に傾いてた。

6月27日4:31
直感が何も機能しなくなっている。

6月27日(土)15:31
息苦しさ

6月29日(月)3:07
助けを求める声すら潰されている。だから俺は助けを求めていないんだと周囲の人間は理解する。俺もそれに騙されている。「これが普通なんだ」と。「こんなもんなんだ」と。

6月29日(月)15:55
何をしても空っぽに感じる。自分の中が空っぽになっていくように感じる。ある時期までは、空っぽでないものをすぐに見付けることが出来た。「間違っている」と思うことは、すぐにやめることが出来た。「間違っている」ことと時間を過ごせば過ごすほど、「正しい」ことに戻ってくるのが困難になるからだ。去年の七月に無理矢理にアルバイトをさせられた、あの時、「これは絶対に間違っている」と思った。「自分はこれからどんどん自分から遠ざかっていくだろう」と思った。そしてその通りになった。「間違った」ことをやるのに慣れっこになってしまっている。自分の中が空っぽになっていくような。実感や手応えを感じられる行為を見付けるのが困難になっている。

6月29日(月)16:04
音楽が聴けない。

6月29日(月)21:20
早速仕事を止めたいと思っている。もともと始めたくなんかなかったのだ。多分。「何もやりたくない」のに、何故仕事なんか始めたのだ。

6月30日(火)1:44
目標が持てている人が羨ましい。なりたいものがある人が。俺は音楽を聴いても何も感じないことが多いし、「ドラマ―になりたい」なんて思わない。いや、思っている部分もあるけど、第一ドラムに憧れないことや、ドラムをやりたいと思わないこと、ドラムをやっても楽しくもなんともないことが圧倒的に多い。

一つの目標、例えば「音楽家になりたい」とか、そういうのを一貫して持てている人が羨ましい。いや、「音楽が好きだ」という気持ちが持続している人が羨ましいんだな。俺は音楽に限らず、何に対しても興味が持てなくなることが圧倒的に多い。何も楽しくなくなることが。喜びとか悲しみとか痛みとか、何の感情も感じなくなることが圧倒的に多い。

6月30日(火)2:21
どの感覚が一番信用出来るかということになってくるけれども、前の土曜日に、病院へ行った帰りにアイコの音楽を聴いた時に感じたものが一番信用出来る。生きているという感じ。

7月1日(水)11:08
自分の中が糊で固められているというか、がんじがらめに縛られているように感じる。そのために、自然な感情の起こることや、自然な思考が不可能になっているように思う。何も感じないし、何も考えられない。というか、「何を考えればいいのだ」という感じ。考える必要性を感じるものがない。だから何も出来ない。

7月1日(水)14:41
確かに、「好きだ」という気持ち(を感じられること)が、自分の最も求めていることであり、人生上の最も大きな価値であるから、感覚に固執しているということになるだろう。

7月1日(水)15:14
もし現実に、アルバイトをやめることで、少しでも楽になるのであれば、やめればいいですよね。誰だって自分から進んで苦しい方向に向かっていく必要はないのだから。
その時その時の自分の望んでいる方向に進んでいけばいいだけの話ですよね。
2012.03.06 23:42|未分類
5月24日(日)18:03
ぎしぎしとした感じ。自分が縛られているような?じじょうじばく?

5月24日(日)18:40
現実を現実として直面することの邪魔になっていた?

5月24日(日)18:45
しかし、もちろん病院へいくのも現実。

5月24日(日)19:22
そもそも、俺のとってきた生き方は「ポジティブ思考」というものとはまったくの対極にある。ポジティブ思考というものをするためには、まずポジティブというのがどういうものかを設定しなければならない。例えば、ポジティブ=楽しいとする。そうした時、ポジティブに考える=楽しいと考えるということになる。

5月24日(日)19:24
お前は異常だと言われて、反論することはこうなのか?

5月25日(月)3:53
「こういう生き方が正しいのだ」って決まり事が出来てしまうと、殆んどの生き方は「間違った」生き方になってしまうでしょ。

5月25日(月)4:01
「自分が自分であること」から引きはがしたのは誰だったか?「自分の人生」というものから?

5月25日(月)4:22
「問題」は一つだけ。モラルハラスメント。

5月25日(月)1611
誰かを愛せなければ自分を愛することも出来ないし誰からも愛されない。自分を愛せなければ誰かを愛することも出来ないし誰からも愛されない。

5月25日(月)1732
言うまでもなく、一人の人間の意志が他の人間によって作り変えられれば、それはその人一人の人生が変えられたというだけにとどまらず、その人以外の無数の人々の人生にも影響を与えている。一人の人間の運命が変えられるだけで、世界全体の運命が変わる。台本が書きかえられる。

5月26日(火)16:15
自分の意志

5月28日(木)16:50
外に対して関心を持つことが出来るというよりも、ただ外部に対して自分の内部がさらされているだけじゃないか。

6月1日(月)13:20
自分の中、世界、からっぽ。授業に出ることに何の意義があるのか、しかし機械的に足を運ぶ。(学校にいくことは自分の人生をより複雑で手の付けられないものにするだけのものではないか。足を運んでいる俺はいささか自暴自棄なのではないか)。教室に着く。教室の中、からっぽ、誰もいない。突き放されたようだった。そのまままっすぐ家に帰った。

6月2日(火)2:43
「アルバイトしている時の感覚しか信じられないから」、アルバイトを始める。誰かに合わせるわけじゃない。アイコを好きな気持ちも、アルバイトをしている時の感じがいちばん信じられる。アイコを好きになるため。アイコを好きでいるため。

6月2日(火)22:48
相手が自分と似ていれば似ているほど、(相手と)違う部分がとても大きなものに思えてくるのよね。普通は、似ている部分の方が少ないから、違うところは気にならないのだけど。だから素直に(部分的に)似ていることを喜ぶことができる。

6月3日3:04
えりあしの通常ばんを買うこと

6月6日(土)2:41
今日はいままで生きてきて見た中でいちばんかわいい女の子を見ました。岡本真夜を更に宇宙人っぽくした感じ。明らかに見たことのない顔だった。茶髪のボビーな感じで、頭がでかく見えた。長袖ティーシャツ。なんて言うんだろ。目が離れていて、エジプトの壁画のようにくっきりした目。

6月10日22:19
母さんには体を大事にしなさいと言って欲しい。自分一人では止められない。

「体を大事にしていない」というのも、一つの大きな(改善すべき)問題。

6月11日15:35
絶望+意味=苦悩
苦悩-意味=絶望

6月11日15:51
紺(ネイビー) 茶スエード アウトドア
2012.03.05 22:05|未分類
5月20日(水)20:01
不安で不安でしょうがなかった。それは、内側からほとばしるエネルギーのようにも感じられた。走ったり跳んだり跳ねたりすることで少しはなくなるような気がした。声をあげて泣きたかった。落ち着かなかった。

5月20日(水)20:03
不安を和らげるのであれば、医者だけではなく、他のものにも求められる。友達とか。小説とか。音楽とか。走ることとか。不安常住。

5月20日(水)22:33
自分の身体をナイフで刻まれているような感覚を感じることがある。これはなんなんだ?錯覚なのか?じくじくする。

5月22日(金)2:42
「何も得るところがない」から神経症なのであって、なにか得るところがあるのであれば、神経症ではないのではないか(神経症として理解することに意味がない)。

5月22日(金)3:09
例えば、アイコの画像を印刷したものだって、いちばん気に入った写真を印刷していないのは矛盾しているだろう。そして、何がいちばん気に入った画像であるかも把握していないんだからな。世界認識が曖昧。はっきりさせるための努力は可能だし、どのようにすればその世界認識がはっきりとするのかを考え、それを実行しなければいけない。そういう矛盾が自分を苦しませているのだから。出来ることをしていないことから生じる様々な矛盾が。

5月22日(金)3:14
もっとも気に入った写真・もっとも気に入った録画・もっとも気に入った動画・もっとも気に入ったインタビュー・もっとも気に入ったライブパンフレット・もっとも気に入ったファンクラブ会報・

5月23日(土)11:21
とらわれ尽してもいないのに、とらわれから離れようとしても駄目なんじゃないのか。

5月23日(土)12:00
常に胸の中に大きな穴のあいたような不安を感じる。これを埋めてくれるようなものを求めている。このような不安がリアルに感じられる時、自分の求めているものもリアルに感じられる(本当に求めてはいないものをやることにとても強い抵抗を感じる)。

5月23日(土)12:03
俺のいま最も必要としていることは、世界認識をはっきりとさせることだろう。不確定のものを確定に移していく。出来ることをする。

5月23日(土)12:29
結局この一年間に何の意味があったのかというと、「去年の六月に戻ってくること」。いまが去年の六月であるのなら何の不満もない。やりたくもないアルバイトをし、買いたくもないものを買い、食いたくもないものを食い、必要のないものに時間を費やすことに意味があるのなら、話は別だけれども(それが意味のあることだと教えられたわけだよ)。それから抜け出すのに一年間かかった。まだ抜け出していないかも知れない。いまは去年の六月なんだと信じなければいけない。いまがカレンダーに書いてある通りの月日なんだと考えても何のプラスにもならない。

5月23日(土)12:40
これから日々を生きるにあたって、常に「今日、この一日でこの一年間よりも多くのことをしなければいけない」と考えなければならない(それは簡単なことであるはずだ)。「この一年間」から抜け出さなければならない。切り離さなければならない。

5月23日(土)13:02
仮にこの一年間になんらかの意味があるのだとしても、いまその意味を見出そうとすることに意味はない。それに、いまそれに意味がまったく見出せないのであれば、それがすべてだ。

5月23日(土)13:23
直感を押さえ続けていると、当然機能しなくなるから、何も選択できなくなる。何を飲みたいのか?何を食べたいのか?そういうレベルのことすら選択できなくなる。

5月23日(土)13:42
不安を感じるのは全然間違ったことじゃないのだ。やるべきことをやっていないから不安に感じるだけのことだ。不安が強ければ強いほど、自分は逃げているということだ。何から?それを探さなければいけない。

5月23日(土)18:51
部屋を見ればわかる。強迫観念にまみれている。aikoを好きになりたいという強迫観念。

5月23日(土)19:21
とらわれているのも自分だし、とらわれから抜け出そうとしているのも自分。どちらか一方というわけにはいかない。

5月23日(土)19:31
DAIGOvs赤ちゃん盲導犬
人を好きになる訓練

5月23日(土)19:34
盲導犬にとって最も大切な「人が好き」という資質を養う
2012.03.04 17:09|未分類
5月19日(火)16:58
昨日、今日と、昼飯に何を食うか迷った挙句、いままでに入ったことのない店に入った。店に入る前は、自分が間違った選択をしようとしているのではないかという抵抗というか恐怖を感じているのだけれども、店を出たあと、昨日も今日も、悲しいというか、感動というのか、涙が出てきた。こういう時には、音楽を聴こうという気にはならない。自分の中に豊かに音楽を感じるからだ。普段は、心が殆んど動かないので、悲しめたり、涙が出ることが嬉しい。豊かさを感じることが。このような自分の心が動くような経験から自分は逃げているのだろうか。それでは、心の動く経験はどのようなところで感じられるのか。昨日と今日の経験(心の動いた経験)との間の共通項は、一度も入ったことのない店に入って食事をしたということだ。つまり、「新しい経験」?

5月19日(火)17:54
学校へ行き、かつアルバイトをしていた時の精神の状態を、理想的な状態であると考えている。それなのに、その環境に自分の身を置くことにストップをかけているものはなんなのか?

5月19日(火)17:59
自分の中の空っぽな感じ。すーすーする。どうすれば一時的にでもこれが埋まるのか?それを知らない。

5月19日(火)18:12
自分のことを「異常ではない」と判断している、その判断自体疑わしい。自分には何も異常な部分はないのだと。苦しいのは異常か?自分が何に対して困っていて、それがどうなるのが望ましいのか、それを判っていない。異常と感じるのは、正常であると感じている時の感じ方と比較してのことだろう。その「正常」がどんなだったか分からないのだ。だから自分が「異常である」ことにも、「正常である」ことにも確信が持てないのだ。自分がどのような状態を望んでいるのか?それを見失っている?

5月19日(火)18:33
学校へ行けなくなった理由、思い出した。自分が疲れているのを、「疲れている」と受けとめることが出来ないからだ。眠いのを眠いと認めることが出来ないというか、「眠いから眠る」ということに対して抵抗がある。そうやって疲労が蓄積していって、学校へ行くのを中断でもしなければ、俺は自分を休ませることはしないだろう、という危険を感じたからだったと思う。

5月19日(火)18:39
いまも明らかに眠いし、疲れているのだろうけど、その眠いことを受け入れられないというか、自分が眠くなっているのを恐ろしいと感じている。眠くなれば、眠らなければならない。その、休まなければならない、眠らなければならないという「強制」が恐ろしいのだと思う。「(眠いから)眠りたい」というように、「欲求」としては感じられない。眠らなければならないという「強制」としてしか感じられない。それに対して、反発している部分があると思う。そのような葛藤があると思う。疲れていることを常に心の中で否定していると思う。だから、疲れている→休む、というリズムのようなものを作るために、学校へ行くのを中断する必要があったのだと思う。

5月19日(火)18:44
いまも、物凄く眠いのだけれど、「眠らなければならない」と思うと物凄く恐ろしいし、絶望的な気持ちになる。というより、胸の中での反発が激しくなっているのを感じて、それが苦しい。眠気や疲れが強くなればなるほど、反発も強くなるから、苦しさも増すように感じる。かといって眠ろうとしても、眠ろうとしていることに対しても、自分の内で反発が起こっているように感じる。だから苦しい。自分が眠りたいのかすら判らない。

5月19日(火)20:30
希望はある。アイコに関すること。アイコを見ていたい。

5月19日(火)20:43
大切なのは努力すること。

5月19日(火)21:12
「努力してみよう」ということで、楽器の練習をしてみたが、胸の中が更に空っぽになっていくように感じられたので、すぐに(10分くらいで)やめた。

5月19日(火)21:22
努力の方向が間違っている。アイコが好きだと言っていた漫画を読むことには空っぽな感じは感じられない。やるべきことをやっているという感じがする。つまり、自分はそのような、「正しいことをしている」という実感を感じられる物事がどこにあるのか、つまり時間の過ごし方を忘れている。「努力」という言葉が好きじゃないのは、自分を理屈に従わせようとするニュアンスをその言葉に感じるからだ。しかも、「正しいことをしている」という実感を見失っているのは、もうなんヶ月という長きに渡ってのことなのだ。

5月19日(火)21:35
少なくとも、自由な時間には、一秒ごとに、「自分はいま正しいことをしているのか」ということを確認していなくてはならない。「していない」のならば、探さなければいけない。何故か、「自分は今も失っているんじゃないか」という恐怖が、いつからかは判らないが、弱くなっている。昔はもっと慎重だったはず。もっと自分を守っていたはず。いまは、「自分はなんでもできる、何も失って困るものはない」と錯覚させられているように感じる。もともとはそうじゃなかった。いまだって実際は、失って困るものがないわけがない。錯覚させられているだけだ。ある時まで、(産まれてから)ずっと自分は慎重に生きてきたと思うが、もう長い間、慎重に(自分を守って)生きるという習慣を失っているようだ。自分は、それは去年の七月を境にそうなったのだと思っている。自分にとって「重要な」人物がいるのだけれども(自分に対して大きな影響を残してしまったという意味で)、その人は、ぼくに対して「馬鹿になればいいのだ」というようなことを連発し、ぼくが慎重に、自分のことを守りながら生きていることを常に否定していた。「だからお前は駄目なんだ」「(俺みたいに)馬鹿になればいいのだ」というようなことをいつもぼくに対して言っていたと思う。

5月19日(火)22:07
四月に学校に行くのを中断したのは、もう一つ理由があったと思う。それは、「自分は学校へ行きたいと望んでいるのかどうか」という疑問があったこと。学校へ行かない生活を続けていると、異常な感覚に襲われて、非常に苦痛な状態になったので、「学校へ行っていないと駄目だ」という考えに思い至った。

5月19日(火)22:09
だから、その「充実感のあること」、「正しいと感じられること」、つまりそれはアイコに関係する物事であるが(具体的にはアイコの好きだと言っていた漫画を読むこと、アイコのファンクラブの会報を読むこと、アイコのライブツアーのパンフレットを読むこと、アイコのインタビューを読むこと、アイコの出ていたテレビ番組の録画を見ること、アイコのDVDを見ること、アイコの音楽を聴くこと、アイコのラジオの録音を聴くことなど)、に全面的に向かっていくには、学校は邪魔だと思った。学校に行っているこの時間にも、俺はアイコに向かっていく時間を無駄にしているのだ、と思った。常にアイコに向かっていきたかった。それで自分が何を好きなのか、自分の好きなものに向かっていき、自分の好きなものの形を確認することを通して(ぼくは、まだアイコの姿かたちがどんなものなのか、つまりぼくがアイコのどのようなところに惹かれているのかをまったく理解していないのだ。アイコを好きなのは分かる。けれども、充分にアイコのことを見ていないから、ぼくはアイコをまだ充分に好きになってはいないと感じている。それがぼくを常に焦らせる。好きになるための努力を充分にしていない。好きになる気持ちを自分で抑えつけているように思う。しかし、当然、「アイコを好きだ」と感じられない瞬間があることがとても恐ろしい)、自分の居場所をも常に確認していたかった。だから、四月に学校へ行くのを中断したのだと思うけれども、学校へ行くのを中断すると、自分の感情が更に平板になり、アイコを見ても、まったく生き生きとした感じが感じられなかった(いくらアイコに向かっていくための時間が充分にあっても、アイコに向かっていきたいという欲自体がなくなってしまったのでは意味がない)。そのうちに、五月の始めごろだったか、目が見えないような、焦点が合わないような、目が目自身を見ようとしているかのような、異常な感覚が現れだした。それが余りにも苦痛だったので、再び学校へ行くことにした。病院にも行くことにした。いまは、ひたすら、学校に慣れようとしている。その新しい環境に慣れることに精一杯で、「アイコに向かっていく」というアイデアも、頭からは消えていたかも知れない。そして、いま、再び、アイコから離れていることに対して、「失っている」というような感覚を感じ始めているようだ。
2012.03.03 23:04|未分類
5月16日(土)2:32
これからは追っかけてくれるのをあてにしてはいけないのかも知れない。動かなければ、自分からアイコの方にしがみつかなければ、本当に人生を失う。

5月16日(土)14:38
自分が好きなものに対して好きだということに対する抵抗
自分の考え・感覚を、自分の考え・感覚としてそれに対して自信を持つことに対する抵抗

5月16日(土)14:54
苦しいと感じているのを「嘘だ」と抑えつけるのが習慣になっていたと思う。自分は苦しくないと思い込ませる。そういう習慣から、自分は苦しいと感じているのか、感じていないのかが本当に分からなくなってしまったというか、自分がどのように感じているのかを、自分でも分からなくなっているように思う。周りの人間から「お前は苦しくなんかないのだ」と言われ続けていたように思うのだけど(実際には言われていないのかも知れない)、そのように「言われている」と常に感じていたように思う。「苦しい」と思う。そこで誰か他の人間の「お前は苦しくなんかないのだ」という声が頭に浮かぶ。「そうか、苦しくないのか」と思う。そういうプロセスが日常的に繰り返されていたと思う。

5月16日(土)17:38
楽器をやっていると、自分の中が埋まっていくどころか、自分の中がますます空っぽになっていくような感覚があった。

5月17日(日)0:45
もっと言えば、「人間」なるものは、人間の姿かたちをとってはいない。

5月17日(日)1:56
人はいつかは「必ず」死ぬのだという考えが浮かんだ。恐ろしくなった。しかし、そのことをずっと忘れていた。永久に生きるものだと思っていた。

5月17日(日)18:45
本当に価値のあるものは、目的のない(無意味といえば無意味な)、それ自体を目的としたものなのかも知れない。

5月17日(日)21:35
道塾 馬場 早稲田への道

5月17日(日)22:04
悲しみ
生活と繋がった悲しみ
生活とは
人間と人間が繋がるための
悲しみ 胸の痛み
彼女が泣きながら
飲んだもの
俺はスーパーにいて
オレンジジュースを手に取る
この地面
アスファルトの匂い
世界というもの
人々
生活

5月18日(月)10:00
未整理の問題が多い。これも学校へ行くのを中断した理由の一つであると思う。未整理の問題があるということは、自分が(それに手を付けていないということから)不快に思う問題があるということだ。未整理の問題が、あっちにもこっちにもあって、いつまでも放置されているのが耐えられなかったのだと思う。だから、いろんな外的雑音から自分を遮断して、問題をシンプルに眺められるようにしたかったのだと思う。

5月18日(月)12:38
各拍で八分音符の二つ目の方が長い。四分音符の頭を常に少し後ろに置いているとも言える。四分音符の頭が拍の頭にジャストになるのであれば、八分の裏は少し前に来ている。八分の裏がジャストなのであれば、八分の表は拍の頭よりも少し後ろ。要は、各拍で八分音符二個目の方が長いということ。各拍の八分音符二個目の長さを気持ちいいと思えるかどうか。佐野康夫は、各拍において、八分音符二個目を発音した瞬間に時間を止めている。

5月18日(月)15:09
ウィリアムジョーンズ 理想の はくち

5月18日(月)20:20
どのような手段であれ、表現(内側にあるものを外に出すこと)することは大切だと思った。それをしないと毒素のようなものが、自分を蝕み続ける。なんらかの形で日常的に外に出し続けなければならない。

5月18日(月)20:25
自分の中に毒のようなものが毎日溜り続けているのを感じる。なんらかの形でそれを外に出し、身が軽くなって楽になることで、そこになって、自分には毒が溜っていたんだなって気付くのだけども。

5月19日(火)15:25
則離破

5月19日(火)15:39
生き生きとした感覚がない

5月19日(火)16:12
アルバートキング

5月19日(火)16:34
何かを選択する時に、自分の中に良からぬものが侵入してくるような感じを感じることが多い。だから、怖くてなかなかどちらかを選ぶことが出来ない。
2012.03.02 22:19|未分類
5月13日(水)17:22
周囲の音が自分の体を実際に刺し、攻撃しているような感覚を受ける。

5月13日(水)17:37
結果的に喜ばせはするが

5月13日(水)17:46
「一人でいる」ということに意識的にならないと駄目。

5月13日(水)18:03
アルバイトを探しに行っている間はずっとうつうつとしていた

5月13日(水)18:36
治療の求め場所はいろいろあると思うのです。クリエーションに求めるか、それ以外に求めるか。クリエーション以外に求めた場合、当然クリエーションの代替となるわけですから、それを望んでいない場合は結局不幸です。しかし何をもってクリエーションというのか?クリエーションとそれ以外を分けることは難しいと思いますけれども、どんな形であれ、本人が満足し、幸せに生きられるのが大切であると思います。

5月13日(水)18:58
「求める(欲する)」という感覚がどういうものなのか思い出しづらいため、何かものを買おうと思った時、「本当に欲しいんだろうか」と考えだし、いつまでも答えが出ない。「これがしたい」というのがするするとでてこない。
いや、「これが欲しい」と思っても、それを信じられない。「それを手にすることで悪い方向へ行くんじゃないか」と考え、規制が働く。
自分で自分の欲望を疑い規制して、身動きが取れなくなるようなところがある(あった)。

5月14日(木)11:50
何をしても胸の中の空虚が少しも満たされる気配がないけれども(胸の中がすーすーする)、これは自分の必要なものを見失っているだけか?それとも、胸の中の空虚を埋めるようなものはどこにもないということか?ずっと何をしてもこの胸の中のすーすーした感じを感じながら生きていかなければならないのか?

5月14日(木)12:34
ある種の痛み久し振り

5月14日(木)14:23
胸の中の空っぽな感じが酷くなってきた。息苦しい。今日は授業をさぼってしまっている。授業をさぼると、この空っぽが強くなり、授業に出るとこれが弱まるのは明らかなようである。胸の中がえぐれるようだ。あの、一秒一秒が恐ろしいという感じだ。

5月14日(木)16:04
モラルハラスメントの本を開いてる読みだしたら肩が硬直して息苦しくなって死にたいような気分になって世界(風の音などの音響とか)が暴力的に自分を攻撃してくるような感覚に襲われた。すぐに読むのを辞めた。

5月14日(木)16:07
どこまでが「気のせい」なのかが分からない。自分の思い込みによって現実に苦しくなるんだったら現実じゃないのか。

5月15日(金)9:06
音楽と関わらなければいけないと思った。音楽と関わるとは、音楽を作ること。音楽を作るとは、楽器を演奏すること。

5月15日(金)10:07
なんの目的もなく過ごすのは不安なものである。(ぼくは、ずっと自分に目標を課すことを避け、怖れている。)

5月15日(金)10:08
しかし、いまになって、目標もなく過ごすことはもっと多くのものを失うことになるということに気付き始めている。目標がなければ達成もない。

5月15日(金)16:40
学校へ行っていない時は「耐えがたいつらさ」だったけど、学校へまた行きだしてからは、「耐えられるつらさ」になったと思う。

5月15日(金)18:07
ミクロよりもマクロでの問題

5月15日(金)20:13
そんなのは異常じゃないんだと周りの人間に言われればそうなのかと思うしかないし、自分でも「正常」であった時の記憶がないから、何が正常で何が異常か分からない。いろんなことがあるよな、それで終わり。だから、自分は何も異常なことは感じていない。苦しいというのは誰にでもあることだし。誰にでもないこともあるんじゃないか?しかし、誰もが経験する苦しみと誰もが経験するわけではない苦しみとを区別することが出来ない。周りの人間に「みんな苦しいんだ」と言われればそれで終わり。苦しみを訴えることは辞める。でも昔はこんな感覚を感じながら絶対毎日を過ごしていなかったとは思う。

5月15日(金)20:19
食事中に両親の話している声ががさがさと耳に入り、攻撃してくるような感覚を感じる。この二ヶ月くらいの間に頻繁に経験するようになった。四月から父親が単身赴任から帰ってきている。いままでは母親と二人暮らしだったから、俺が話さなければ、母親も当然話すのを辞めるから、このようなことはなかった。しかし、学校とか、電車の中とかでは、このように人の話し声ががさがさと神経を攻撃するような感覚を覚えることはない。家族の声だけだ。取りあえず、父親の口調は常に非難めいている。それだけが原因であるとも思われないが。(母親の声も攻撃的に感じる。)
2012.03.01 00:05|未分類
5月3日(日)9:38
例えば、「早く起きていないから」かも知れないしね。

5月3日(日)23:10
そのような弱さ―自分のなかにあるある種の不完全さを伴うもの、曖昧さを伴うもの、つまり自然のある側面であるが―を認めていくには、現実の生活に杭が打たれなくてはならない。家族、社会のなかでの居場所、そこでの何かに主体的に取り組んでいるという感覚がきわめて重要である。森田療法で、治療者が常に「今ここで」の現実への取り組みを促すのは、結局現実への関与が深まり、そこでの挫折、修正の体験からその人の生きる足場が固まるからである。現実の生活で足場を固める作業なしに、あるがままという体験はあり得ない。

5月6日(水)11:55
より楽しい方向を目指す。

5月6日(水)11:57
より楽しい方向を目指し、常に努力する。

5月8日(金)12:56
俺が逃げている(可能性のあるもの)
学校
アルバイト
サークル
aiko
荒巻茂生

例えば、練習などは、演奏活動を始めた時にはじめて必要になってくるものだといえる。俺が練習のみをしているのは、練習をせざるを得なくなる、練習をする必要が出てくる環境を避けているだけであり、俺はそのような環境(演奏活動)を怖れているのだと思う。まず、俺は演奏活動を避けている。理由として挙げたのは、「自分の中で音楽というものが余りにも不確定的なものであるから」、「それによってアイコから離れると感じたから」、であると思う。だから、アイコと向き合い、自分にとって音楽がどういうものであるかがよりはっきりしてから、演奏を始めようと思っていたのだ。しかし、「自分にとって音楽がどういうものであるか」なんて分からなくていいんじゃないか?少なくとも、演奏活動を始めない理由にはなっていないだろう。演奏活動をしながら分かってくるものだろうし、演奏活動を避けていたら、ずっと分からないだろう。

5月9日(土)2:58
俺にはこの世でいちばん大事な音楽のCDがあって、俺はずっとそれから逃げていたんですね。俺のいままでにしてきたことは(学校へ行くのを辞めたりアルバイトを辞めたり始めたりすること、漫画を読むことを含めて)、すべてその音楽を理解するためのものであったと思う。その音楽を理解するためにいろいろなことを始めたりするわけだけど、そのうちに最初の目的を忘れてしまい、その音楽そのものから目を背け続け、その音楽が存在していたことすら忘れてしまう。その音楽を理解するために、学校へ行くのを辞めたり、1000冊以上の必要な漫画を読もうとしているのに、かえってその努力のために、その音楽の理解から遠ざかる結果になっている。俺は漫画を読んではいても、その音楽が存在していたことをなかったことにしていた。なんのために漫画を読んでいるのか?それを忘れてしまっていた。しかし、俺が結局、学校へ行くのを辞めたり、それによって死にかけたり、バイトを始めたり、それによって死にかけたり、バイトを辞めたり、それによって死にかけたり、音楽を理解どころかどんな音楽も聴こえなくなったり、どんな希望もなくなった
り、それらはすべて、この音楽、この音楽を理解するためのものであったことに、いま気がついた。結局、この音楽が聴こえる世界が意味のある世界であり、この音楽の聴こえない世界は意味がない。

5月9日(土)9:21
この人の音楽のファンは、引き込もってる人とか、精神的に病んでいる人、つまり一般的な生き方から外れちゃっている人が多いと聞くけれど、この人の音楽は、愛することの恐怖というか、愛がなければ怖れたりなんかしないわけ。それで人間はしばしば回避的になるでしょ。そういう人間の様々な「弱さ」を含めて、人間は素晴らしいと思えるような、そういうところがあると思う。自分の持っている「弱さ」故に見られる素晴らしいものもあるんだということを気付かせてくれる。

5月9日(土)12:33
以前は憧れとか劣等感などを感じることが出来たが、いまはそういう感情を生き生きと感じることはない。
人や世界に対して、長いこと親しみを感じることがない。
希望がないというよりも、複数の希望の間のバランスが取れていない。
簡単な選択が出来ない。選択を失敗したら重大なことになる(不安なりがやってくる)という恐怖から
目が見えなくなる感じ
4月に学校へいくのを中断した(心地よい緊張ではなく、肩の筋肉がこわばり、生気を吸い取られ、心臓がちぢこまるような感覚を感じた)

5111637
ロングティーシャツ 1500円

5月12日(火)19:42
凄く嬉しかったんだということをなんとかして伝えたいと思った。こういうのを人を好きになるというのかな。

5月13日(水)11:15
いまの自分の感覚が信じられない。信じられるのは、アイコに対して鮮やかな感覚を感じていた時。
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