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2012.03.11 20:50|未分類
7月19日(日)14:31
ぼくが自分の個性を自覚したのは、「外の物事について関心を持とう」とする努力が不自然なものに感じられ、「外とは何か」と考えたときに、自分のスキゾタイパルに気付いたのだと思う。つまり、あるがままに近付いた結果、俺はスキゾタイパルになった(スキゾタイパルであることを拒否しなくなった)。

7月19日(日)14:37
俺はある一時期までは、正しい精神療法というものがあると思い込んでいたのだ。村上春樹の小説などを通して行われる「癒し」は本式ではないと。しかし、病気の定義から外れることは重要なことではないのだ。

7月19日(日)22:53
しばしば、ぼくにはこの世界が死んだあとの世界のように思える。永久の闇

7月20日(月)2:23
整理してみよう。「いま」俺が問題にしているのは、音楽が聴こえないことだ。音楽が聴けないから、アイコを好きだと感じられないのだから。音楽が聴けるようになれば、アイコを好きだとも感じられる。アイコを好きだと感じている時間を過ごしていくことが、自分を癒していくのだと思う。どうすれば音楽が聴こえるようになるのか?それを考えればいい。(学校へ行くことがその一つだ。)

7月20日(月)2:45
パーソナリティのことを勉強すると、「自分の」人生を生きる妨げになる。つまり、パーソナリティというのは結果的にラベリングされるのであって、「自分の」人生は、パーソナリティの分類のみによって説明できるものではない。いずれのパーソナリティに属するかというのはそれほど重要ではない。もっと重要な尺度…それは、自分の好きな人の好きなものを同じように好きになれること、などである。自分の好きな人のことを知りたければ、パーソナリティのことを勉強したって駄目だ。それよりも、好きな人の好きなものを同じように好きだと感じられること、同じものを見られることに意味がある。
パーソナリティを勉強するなど、それこそ、言葉に傾いている。

7月21日(火)2:11
病院に行かない理由=文章が書けなくなる(自然な感じ方が出てこなくなる)から。しかし、これがこれからにも当てはまるのかどうか。

7月21日(火)15:15
食べたいものが思い付かない
息苦しさ
空っぽ
死にたい
音楽聴けない(攻撃的)
やりたいことない
自分の感情のようなものがない
こうなりたいというような希望がない(以前はあった)
楽しめたものが楽しめなくなった
実感、現実感がない(もやもやした夢を見ているよう)
食欲ない(味しない)
世界に親しみが感じられない
人間に親しみが感じられない
そもそも人間に会いたいと思わない
人間に会っても疲れて、世界は空っぽだと感じて(何も楽しいものはない)死にたくなるだけ
毎日同じ(進歩がない)
一日が五分くらいに感じられる
何かをしても胸の中が空っぽになって胸の中を風が吹き抜けていくようなすかすかの息苦しさを感じるだけ(その感覚が苦しくて胸をどんどん叩いたりする)
以前アルバイトを始めたが、働いている間、自分の体じゃないようで、文字などを認識するのも困難で、「操縦」しているような感覚があった(乗り物に乗っていて、スクリーンに映し出された画面を見て操縦している)。すぐに辞めてしまった
常に自分が他者によって監視されているというか、行動を他者によって制限されているような感覚を感じる時期が多かった。簡単なことも選べない。行動の自由は与えられているはずなのに、何物かによって縛られて動けないような感覚。何かを感じても自分の感覚だとは思えない。「誰かの感覚だ」と。
「自分の感覚」、「これが自分だ」と信じられるようなもの(それはかつて自分にあった)を取り戻そうといろいろ頑張っている
でも自分がない
何もやる気力がない
食事も面倒
何をやっても(こんなことをやるのは)間違っていると感じる
しかし何をやるのが正しいのか分からない
楽しいという感覚がない
悲しいという感覚もない
泣くことが出来ると楽になる。安心する。自分に感情が生きていたことを嬉しく思う
もう一ヶ月くらい泣いてもいない
というか、なんで学校へ行くのを何度も中断しているのだろう?卒業したいという気持ちはあるのに
音楽が聴けないこと自体は、学校に行ってないことと関係していると思っている。行っている間は(今よりは)聴けた。
人間が生きているという感じがしない。リアルじゃない。
正しいと思えるものがないから(何をしても間違っているように感じるから)、身動きが取れなくなっている
昨日まで何をしていたか思い出せない。常に、昨日より以前は存在していなかったかのように感じられる(カレンダーの日付とか、自分の残したメモやらの履歴を見て、そこから辿って行こうとしないと思い出せない)
世界・自分に連続性を見出すのが困難
今年の二月に二年振りくらいに病院へ行ったが、それ以来、病院へ行ったり行かなかったりを繰り返している(予約入れてもすぐにキャンセルしたり。病院と関わっていることが、自分をもっと駄目にすると感じるから。再び病院へ行きだすのは、病院へ行った方が状況が好転すると思うから)
「わからない」というのが強い。「わからない」から、他人から道具にされやすい
外を歩いていていろんなものを壊したいと思うことはしょっちゅうある。自制出来ているから実際に壊しはしない。しかし、自制しているから、そのエネルギーが自分自身に向けられているというか、体に悪いんだろうなとは思う
自分の取っている行動の何もかもが自分を傷付けているように感じる(自殺に類する行為のように感じる)
医者と治療関係を持っていない時(次の予約を入れていない時・医者に通い続けなければいけないんだという義務から離れているとき)は、対人恐怖が酷くなる
去年の七月(モラルハラスメント)

7月21日(火)21:58
周りの人が自分に何も言ってくれなくなるのが恐ろしい。ぼくは常に、誰か周りの人に助けて欲しいと思っている。

7月22日(水)16:43
ぼくが治ったときというのは、何かが信じられるようになったときのことだと思う。

7月23日(木)2:39
大学の構内の建物の地下への階段を降りていって、庭に面した部屋に出る。

7月23日(木)2:42
基本的事柄―疲れたら寝る。健康第一。
2012.03.09 20:37|未分類
7月11日(土)2:12
あと、「慢性的なストレス」なんて、もう数年間毎日抱えているだろう。当たり前になってしまっているから自覚しにくいけれども。「当たり前になってしまっているから自覚しにくい」ことが多い。だから、「何に困っているのか」考えても、自分の頭からは思い浮かばない。

7月11日(土)3:45
一方で、俺に音楽を一緒にやろうと誘ってくれているその人が(ギターをやっている)、たまに俺にメールなどを寄越したり、ブログに俺に関係することを書いたりして、俺のことをまだ気にかけてくれているのを見て、安心しているのも事実だ。彼は、音楽の実力はしっかりしているし、彼以外にちゃんとしたプレイヤーが俺の身近にいないのだ。彼は俺のドラムを一応評価していて、俺が音楽を辞める時が来ても、俺と一緒に音楽をやりたいそうだ。彼は、俺がドラムをやると言わないので、いままでずっとドラムなしで(ギターとサックス、ギター二人など)やっていたのだが、最近になって俺以外のドラムの人を見つけたようだ。少しだけ焦りを感じている。彼のコネクションが殆んど唯一の、俺が音楽の世界に入っていく手掛りだしな。

7月11日(土)4:12
音楽をイヤーホンで聴いたが、すぐそばで鳴っているのに別の世界で鳴っているような、異常な感覚だった(他人の夢を強引に見せられているような)。一曲ぶん聴いたのだが、聴いていた間のことが夢のように思われる。あれが現実なら、聴いていない間の方が夢なんだろう。或いは、音楽を聴いている時と、聴いていない時とは、それぞれまったく異なった現実であるということだろう。

7月11日(土)4:16
というか、俺は自分が問題にしていることが精神医学ではどのように名付けられているのかを知りたいだけなんじゃないのか。「治したい」ことなんて、あるか?それ以前に、欲しいものが、失いたくないものが、大切にしているものがあるんじゃないのか。それを得るのに、医者の力は本当に必要だろうか。アイコに関わることだろう。アイコと取っ組みあっていればいいことだろう。むしろ、医者に行くことでこじれているんじゃないか?

7月11日(土)4:24
胸が苦しい。息が苦しい。

7月11日(土)17:04
文教堂、短い茶髪、少し大きめの白ティーシャツ、黄色とか青のスニーカー、ティーシャツのおっぱいのふくらみ、爽やか、pati patiという雑誌を見ていた。いままで見てきた女の子の中で一番かわいいかも知れない。

7月11日(土)17:47
よく「愛を求める」なんて言うじゃん。俺は愛なんて全然求めていない。別に愛されたいとは思わないし、そんなの俺には関係がない。

7月14日(火)0:06
本当の豊かさ

7月14日(火)5:07
俺はある時期までは、無駄に人生を過ごすことを怖れていたし、警戒していたし、実際に無駄だと思えることはすぐにやめるようにしていた。

7月14日(火)5:09
個人練習の録音を聴くが、単純に無駄なことだと思う。それでは何が無駄でないのか?それを探さなくてはならない。

7月14日(火)5:16
もっと、一秒を失うことに対して意識的だったと思うのだ。いまは、一ヶ月などをゴミのように捨てている。何も得るものはない。

7月14日(火)6:01
精神が殺された人は立ち直ることが出来るのだろうか。精神の病気であるのなら、治療することが可能なのだろう。しかし、精神が殺された人はどうすればいいのだろうか。

7月14日(火)19:49
自分と他人との境界がうまく引かれていないこと、そのことが苦しい。どろどろに溶けている。境界が引かれ、 ひんやりとした空気が戻ってきて欲しい。
2012.03.09 20:36|未分類
7月9日(木)16:19
もう長いこと、自然に何かがやりたいと思ったことがないのは事実。

7月10日(金)4:21
診察にあたり、

俺がどう思っているかではなく、外から見てどう見えるかの方が重要であると思う。客観的に見てどのような行動をとっているか(自分を追い込むとか衝動性とか)。

7月10日(金)14:01
今の俺には何の問題もない。死んでも問題ない。
こうは思っていなかった時期もあったと思うけれども。

7月10日(金)14:47
何で学校へ行くのを中断したのだったか?思い出せない。意味のないことだ。何故わざわざ行くのをやめなければならないんだ。

7月10日(金)15:12
清水裕子 画家 商学部 亀井ゼミ

7月10日(金)15:34
分かっているのは、アルバイトよりかは、学校の方が自分にとって重要だということだ。

7月10日(金)15:50
それは、自分のやりたいように生きてこなかったことの皺寄せでもあるだろう。自分の意志を無視して、自分に何かを押し付け、自分をそれに従わせる。もちろん、それは去年の七月をきっかけにして作られてしまった習慣だ。「学校がどう」というよりも、自分の最も深いところにある意志に自分が従っているのかということだ。

7月10日(金)16:06
追い掛けられる前に動いてもしょうがないということ。少なくとも、自分は去年の七月までは、何も考えずに、追い掛けられるままに生きていた。

7月10日(金)16:33
望んでもいないことをやり続ける習慣が出来ている。

7月10日(金)16:46
根本(こんぽん)ということ。俺はずっと、根本的に自分が何を望んでいるのかを意識して生きてきた。それは去年の七月に壊されてしまった。根本を無視し、枝葉末節ばかりを取り繕い、誤魔化し生きていく習慣が出来てしまった。しかし、これは自分が最も怖れていたことであったし、自分の人生観、価値観からまったく反する。自分の価値観を、自分の生き方を取り戻すこと。
根本的に何がしたいのか分からないのなら、探さなければいけない。常に問い続けなければいけない。「これは本当に俺の望んでいることなのか?」と。

7月10日(金)17:22
俺は去年の七月以来、何の思想上の進歩もしていない。去年の七月以前の状態に戻ることと、去年の七月のことがなければということだけを毎日考えて生きてきた。しかし、去年の七月に起こったことが、自分をどのように変えたのかを正しく認識しなければ、何も変わらないと思ったのだ(今も思っている)。去年の七月に起こったことが悪いことだと認識しなければ、あいつの思うつぼだからだ(あいつは俺を別の人間に作り変えようとしていた。俺の固有の価値観や生き方を破壊し、あいつの価値観や生き方を俺に押し付けようとしてきた。そしてそれは成功したわけだ)。

7月10日(金)19:28
昨日から、生き物(不安、叫びに近いもの)を感じている。病院へ行っている間は「生き物」を感じないという理論が自分の中にあったが、それが覆された。

7月10日(金)19:57
昨日、今日と食事が殆んど出来ない。胸が塞がっている。「食事が出来ない」なんて理由で病院に来る人もいるんだろうか?食べても味がしない。味がしないことで何か困りますか?人生が楽しくないことで何か困りますか?疲れやすいことで何か困りますか?死にたい死にたいと思っていて何か困りますか?死にたいなら死ねばいい。そうすれば解決する。俺は何に困っているのだろう。俺自身になんらかの方向性を求める欲がなければ、俺は自ら死んでしまう。求めるというのは、「根本」的なものだ。頭で考えることではない。

7月10日(金)21:35
生活を妨げるような認知の歪みがある

2012.03.08 18:48|未分類
7月3日(金)3:34
寝る時、胸の中が吸い取られるような、空っぽな感じがした。胸の中が巨大な空洞になっている。耐えがたい。余りにも空っぽなので、じっとしていることができない。
胸の中が空っぽだと感じている間は、何も好きだと感じていないのだ。好きという気持ちを感じることは、自分の胸の中に、それの存在の暖かさを感じることだ。少なくとも空っぽであると感じている間は、俺は世界に対する心による親しみを感じてはいないし、誰も人間を愛していないし、何も愛していない。「自分の中に何もないように感じる」とはそういうことだ。楽であるはずがない。生きている意義がない。生きようという気力もあるはずがない。そのような状況に置かれた人間が、自分の中に再び、自分の愛しているものの存在の暖かさを感じたい、何かを好きになりたい、誰かを好きになりたいと思うのは当然のことだ。何故そう思うのか?何も好きになれない、自分の胸の中に、なんの存在も感じられない状態は、とても苦しく、そんなのがずっと続くのなら生き続ける意味などない、と誰もが思うようなものであるからだ(「価値観」だとか「人生観」だとかの問題ではない。誰にとってもこのような状態は苦痛である、ということだ)。

7月3日(金)20:50
一つ目の問題:神経症の治療((ぴかぴかとした世界に対して)ぐにゃぐにゃとした、不確定な世界を、「(不確定)だからこそ面白い」と思えるかどうか)、二つ目の問題:自尊心の問題。納得してそれを選択しているか。それを自分が信じられるか。

7月3日(金)21:50
この二つの問題が共存しているから、ややこしくなっているのだと思う。コンビニのアルバイトを始めようと思ったのは、一つ目の問題を解決しようという欲求による。コンビニのアルバイトをやっていてどんどん自分が悪い方向に進んでいて、自分を傷付けているのだと感じて、アルバイトを辞めるべきだと思ったのは、二つ目の問題を解決しようという欲求による。要は、自尊心が持てていれば、アルバイトを辞める必要はない。自分が「自分だ」と思えるのであれば。自分のしていることに納得が出来るのであれば。

7月5日(日)2:22
7月4日
練習スタジオにドラムとかいう楽器を触りに行く。それほど虚しくはならなかった。録音を聴くと昨日よりは大分良くなっている。というか、慣れの問題が大きい。どんなに才能のある人でも、一ヶ月の間に一時間しか楽器に触りませんでしたというのでは、演奏なんて出来るわけがない。楽器の鳴らし方というのは経験則に基づくものだから、長い間触っていなければ、忘れる。また、楽器は、やっていて楽しいという感覚があれば、勝手に上手くなる。触っているだけで上手くなる。楽なもんだ。逆にいうと、やっていて楽しいという感覚がないのに続けていても、上達は非常に難しいということ。

7月5日(日)17:31
自分というもののイメージがなければ、そこに何を足しても、豊かにはならない。ただ通り過ぎていくだけ。

7月5日(日)17:58
「あの時の自分の気持ちはどこに行ってしまったのか」ということ。ある種の人たちは、自分の心というものを過去のどこかに置いて来たまま、心のない人として生き長らえている。俺はそうはなりたくない。もうなっているのかも知れない。自分の大切な気持ち、信念などを失ったまま、もう二度とそれらは戻らないのかも知れない。
ここで書いていることは奇異なことでも何でもない。「気持ちは生物(なまもの)」だということだ。だからその時その時に感じた気持ちに従って生きないと、あとで後悔する。その「気持ち」が自分にとって大きければ大きいほど、それを置いてきたまま通りすぎることによる後悔は大きくなる。
この「気持ち」というのは、「直感」とも言い換えられるだろうし(「直感」とは「生命そのもの」であると思う)、森田流に言えば「初一念」だろう。

7月6日(月)3:59
空っぽな人生しか生きていない人間には空っぽな音しか出せない。何も愛さないで生きてきた人間には、人の心に訴える演奏は出来ない(白々しい音しか出せない)。俺はこの一年間、まったく空っぽに過ごしてきた。今まで生きてきて、そう感じたのは初めてだった。他人によってそうさせられたのだ。楽器なんて、技術力なんて簡単に研けるのだ。楽器が演奏出来るかどうかは、その人がどのように生きてきたか、どのように生きているのかがすべてだ。

7月6日(月)15:41
「俺は何がしたいのか?」そのことを常に考えるのが、俺の価値観というか生き方だった。それが、去年の七月に他者によって破壊されてから、いまも、その生き方を取り戻していない。流れが出来てしまうと変えるのが困難になる。俺の元々の生き方を取り戻さないと、一生、「自分が何をしたいのか」を見て見ぬ振りというか、始めからなかったかのように、自分を物のように扱って、自分を消耗させながら死んでいくしかない。近い将来に「自分が何を失ったのか」も忘れるだろう。

7月6日(月)16:40
もともと、ぼくは少なくとも精神科の領域では何も困っていなかった。ぼくは自分の好きなように生きていくことを目標にしているし、そのことで困ることと言えば、学費のことくらいだ。また、一年間を失ったこと。それが一番大きいのだけれども。しかし、これからの人生を生きていく上では、これから、自分の好きなように生きていくしかない。自分には迷惑がかからない。

7月6日(月)19:33
未来を考え、現在を未来と関係付けて見る必要はない。現在のみを考えれば、何も問題はない。生きることは現在の連続である。未来とは考えであって実際ではない。
2012.03.07 20:57|未分類
6月15日14:28
自分の感覚が信じられるようになる手掛りとして、喜びや悲しみなどの感情が感じられるようになる、ということがある。喜びや悲しみなどの感情が何も感じられない、何に対しても関心を持てない、何もやりたいことがない、というのはやはりまともではないし、そんな状態にある自分の感覚など信じられるわけがない。

6月15日15:23
俺の感覚に問題があるというよりも、俺の行動に問題がある?(それによってますます感覚に問題があるように感じられるようになる。)
例えば、いまは眠い。

6月15日16:58
疲れているのに休むことができない

6月15日17:08
疲れているのを止められない。何故止められないのか?やりたいことだとか心惹かれるものがないから。

6月17日1:50
感受性というのはインスピレーション。それがある時にわたしは生きていると思う。それは喜びというものの別名であろう。

6月19日16:00
先日、トムハンクスに会いました。未来堂店主
加藤鷹とアダム徳永という二大巨頭のサインを持つ格式ある店。それが、未来堂。

6月22日15:53
中学生か、或いは高校生か。お洒落とは最もかけはなれた格好をしているのだけど、ファッショナブルで、芸術的な感性を感じた。バルトークやショスタコービッチを聴いてそうな感じ。顔も美人とは言いがたい。髪型も、室町時代の絵巻物に出てきそうな感じ(庶民)。ジーパンの間のふとももの内側からマンコにかけての湿気の匂いを味わいたいと思った。或いは、スティービーワンダーを聴いているのかも知れない。将来歌手になりそうだ、と思った。意志の強そうな眼、漫画家の浦沢直樹に似ている。
まあ、そのあとに見た、カジュアルな格好をした髪の長い、イヤホンを耳にぐりぐり押し付けて外界の音を遮断してイヤホンからの音を聞き取っていた女の子の方が魅力的(というか、やりたい)だったけど。早稲田生には見えないし、高校生にも見えないし、ましてや専門学校生の対極にあるような感じの子だったし、何をしている子なんだろう?音大生かな。同じ駅で降りたんだけど、改札抜けたら結んでた髪をほどいて、源氏物語みたいになってた。無造作な長髪。ますますやりたくなった。歩いてる時、体が左に傾いてた。

6月27日4:31
直感が何も機能しなくなっている。

6月27日(土)15:31
息苦しさ

6月29日(月)3:07
助けを求める声すら潰されている。だから俺は助けを求めていないんだと周囲の人間は理解する。俺もそれに騙されている。「これが普通なんだ」と。「こんなもんなんだ」と。

6月29日(月)15:55
何をしても空っぽに感じる。自分の中が空っぽになっていくように感じる。ある時期までは、空っぽでないものをすぐに見付けることが出来た。「間違っている」と思うことは、すぐにやめることが出来た。「間違っている」ことと時間を過ごせば過ごすほど、「正しい」ことに戻ってくるのが困難になるからだ。去年の七月に無理矢理にアルバイトをさせられた、あの時、「これは絶対に間違っている」と思った。「自分はこれからどんどん自分から遠ざかっていくだろう」と思った。そしてその通りになった。「間違った」ことをやるのに慣れっこになってしまっている。自分の中が空っぽになっていくような。実感や手応えを感じられる行為を見付けるのが困難になっている。

6月29日(月)16:04
音楽が聴けない。

6月29日(月)21:20
早速仕事を止めたいと思っている。もともと始めたくなんかなかったのだ。多分。「何もやりたくない」のに、何故仕事なんか始めたのだ。

6月30日(火)1:44
目標が持てている人が羨ましい。なりたいものがある人が。俺は音楽を聴いても何も感じないことが多いし、「ドラマ―になりたい」なんて思わない。いや、思っている部分もあるけど、第一ドラムに憧れないことや、ドラムをやりたいと思わないこと、ドラムをやっても楽しくもなんともないことが圧倒的に多い。

一つの目標、例えば「音楽家になりたい」とか、そういうのを一貫して持てている人が羨ましい。いや、「音楽が好きだ」という気持ちが持続している人が羨ましいんだな。俺は音楽に限らず、何に対しても興味が持てなくなることが圧倒的に多い。何も楽しくなくなることが。喜びとか悲しみとか痛みとか、何の感情も感じなくなることが圧倒的に多い。

6月30日(火)2:21
どの感覚が一番信用出来るかということになってくるけれども、前の土曜日に、病院へ行った帰りにアイコの音楽を聴いた時に感じたものが一番信用出来る。生きているという感じ。

7月1日(水)11:08
自分の中が糊で固められているというか、がんじがらめに縛られているように感じる。そのために、自然な感情の起こることや、自然な思考が不可能になっているように思う。何も感じないし、何も考えられない。というか、「何を考えればいいのだ」という感じ。考える必要性を感じるものがない。だから何も出来ない。

7月1日(水)14:41
確かに、「好きだ」という気持ち(を感じられること)が、自分の最も求めていることであり、人生上の最も大きな価値であるから、感覚に固執しているということになるだろう。

7月1日(水)15:14
もし現実に、アルバイトをやめることで、少しでも楽になるのであれば、やめればいいですよね。誰だって自分から進んで苦しい方向に向かっていく必要はないのだから。
その時その時の自分の望んでいる方向に進んでいけばいいだけの話ですよね。
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